ネパールヒマラヤ遠征登山の記憶〈2〉ダサイン前の喧噪にて〈後編〉

前編からつづく

◎働く子どもたちの目は生き生きと輝いている

ネパール王宮の方を一通り回った後は
またお決まりの知り合いの画廊でビールとモモだ。

ネパールでは学校へ行かずに
働いている子供がとても多い。

だが、みんな生き生きとしていて、
目もキラキラと輝いている。

近くの店からビールとモモを運んできてくれるのも
小学生低学年位のかわいい女の子だったが、
とてもしっかりしていて、大人への対応も
手慣れた感じで、お金の徴収や冗談の受け答えなども
しっかりとしていてとても感心した。

みんな生きることに必死なのだ。

夜は、画廊の主人に誘われて、
現地のネパール人しか行かない酒場へ言った。

薄暗くて僕たち以外は客がいない感じだったが、
そこでも基本はビールでいくつか料理が出たが、
一番美味かったのが、カレー風味を付けた
干し米のようなもので、それをボリボリ食べると
香ばしくて飲み物に良く合った。

帰り際に厨房をちらっと覗いたら
そこの女主人と子供1人が地べたに座って
何にも具が入っていないようなカレーの汁と
米のみの質素な食事をとっているのが見えた。

◎いよいよカトマンズを離れポカラへ

次の日は、キャラバン開始地点との中継地となる
ポカラへ移動となる。

画廊の主人がタクシーを手配してくれた。

カトマンズからは西へ200キロの旅だ。

次の日の朝、ホテルをチェックアウトして
画廊の前に行くと1台のクルマが停まっていた。

日本車でたぶんマツダ製。

タクシーらしい色に塗装してあるが
ほこりにまみれボロボロだ。

運転手は小太りの気の良さそうなオヤジ。

トランクに荷物をぎちぎちに詰め込み、
乗り込んでみると足下には穴が空いていて、
道路が見えている。

先が思いやられるような予感を感じつつ
それでも何だかメンバー皆、
明るい気持ちでカトマンズの街を後にした。

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ネパールヒマラヤ遠征登山の記憶〈2〉ダサイン前の喧噪にて〈前編〉

僕たちがネパールに入った10月の初旬は、
ダサインフェスティバルという
ネパールのお盆みたいな行事があって
カトマンズの街もその準備で人々が
なんだか浮き足立った感じだった。

その期間はみんな長期の休日をとって
地方に里帰りするらしく、
店も閉まって街も閑散とするらしいので、
物資調達も慌ただしく行うことになった。

カトマンズでも一番の繁華街となっている
タメル地区には登山用品店が多く店を出していて
トレッカーや登山客はそこで燃料などの調達を行う。

定価などは無く、
全て値段交渉しなければならない。

◎ネパールの女の子の美しさに驚く

ネパール人は大多数がヒンドゥである。

観光がてらにネパール王宮の方へ
人ごみを分けながら歩いていくと、
街角の要所にはリンガーという男根をかたどった
石のモニュメントがあり、そこには生け贄の
ヤギや供物、花などが供えられ、
血と汗とお香、そして食べ物や下水の匂いが
混じり合っていて、頭がクラクラしてくる。

ネパール王宮が近くなってくるとツーリストも多くなり
ツーリスト目当てに商売している観光サドゥー(苦行者)の
姿が目立つようになってきた。

カトマンズは、すれ違う若い女の子に
ハッとするような美形の子がとても多い。

インド系なのだろうか。

それに反して大人の女性は
肌が荒れていて貧相な場合が多い。

世界の最貧国の1つに挙げられるネパールでは、
生活の水準は決して良いとは言えず、
環境が女性の劣化を速めているのかもしれない。

後編へつづく

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ネパールヒマラヤ遠征登山の記憶〈1〉カトマンズはカオスの街〈後編〉

カトマンズでの定宿

前編よりつづく

◎初めてネパールに降り立ってカルチャーショック

ネパール空港は僕らの便の乗客以外誰もいなく、
薄暗くシーンと静まり返っている。

荷物を受け取って、万事のんびりした
イミグレーションをやっと通過し
空港の出口を出たとたん驚いた。

空港の玄関は中の静けさに反して
人でごった返していたのだが、
深夜のオレンジ色の照明に照らされた中
大勢の子どもたちが走り寄ってきて周囲に群がり
僕らの背負っている荷物を手当たり次第に
グイグイ引っ張り出したのだ。

最初は集団のヒッタクリかと思ってびっくりしたが、
揉みくちゃくされながら様子を見ていたら
「荷物を持つから運搬料をよこせ」と
言っているのに気付いた。

しばらく身動きが取れなくて困っているところに
ようやく現地のエージェントが走り寄ってきて、
子どもたちを追い払い、ぼろぼろのバンに
僕たちを押し込んだ。

電球の光と焚き火しかない街の
でこぼこの道をバンは走り抜け、
ホテルに到着したのは深夜12時を回っていたと思う。

遠征チームの仲間2人と画商の友人

◎カトマンズの雰囲気に慣れる間もなく物資調達

僕たちがカトマンズでの宿にしていたのは
フロントにかわいい看板娘がいる
チベット人が経営する場末の小さなホテルだ。

朝起きると、チベタンブレッドとチャイ(紅茶)の
簡単な朝食を済まし、まずはメンバーの知り合いの
ネパール人が経営する画廊へ挨拶に行く。

カトマンズ滞在時は現地で調達する物資の
買い込みや諸手続きを行いながら、
この画廊でネパール風餃子のモモを
サンミゲルビールで流し込むというのが
お決まりのスタイルとなった。

ネパールの首都カトマンズは熱気で溢れ返っていて
排気ガスと生き物の糞尿とお香が混ざりあった
刺激的な臭いがするカオスの街だった。

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