ネパールヒマラヤ遠征登山の記憶〈1〉カトマンズはカオスの街〈前編〉

もうかれこれ20年前、
ネパールヒマラヤのアンナプルナ山群にある
シングチュリ(6501m)という山を
これまで日本国内のクライミングでも
良く一緒に登りに行っていた仲間2人と
登りに行きました。

そのときの話をこれから
少しずつ書いていきたいと思います。

季節はポストモンスーンと呼ばれる
ヒマラヤを登るには一番良い季節。

標高はそんなに高くはないものの
登頂率は低く、さらに僕たちはノーガイド
ノーポーターで全ての荷物を自分たち3人で運び
ルートも通常の北東ルートではなく南稜の
ナイフリッジをアルパインスタイルで登るという
登山スタイルにこだわった計画を立てていました。

当時も筆無精なためメモや文章にしたのもは
何も残っておらず、撮影した写真を見ながら
記憶を辿って書いていきたいと思いますので、
人名や名称、行動記録などは正確ではない点は、
あらかじめお断りしておきます。

◎いざネパールへ・・出国からいきなりハプニング

1997年の10月5日早朝に金沢を出発し、
その日のロイヤルネパール航空で
関空を出発する予定だったのに、
待てど暮らせど飛行機が到着せず待機。

挙げ句の果てに、その日は飛行機が来ないという
ハプニングに見舞われ、航空会社持ちで
関空近くのホテルで1泊するはめになる。

次の日、仕切り直しでようやく飛行機が到着したが、
出発直前に乗客の1人が、嫌な予感がするから
飛行機を降りると言い出す始末。

いくら機体がボロいといったってそれは無いだろー!
と思いつつもすぐに飛行機は飛び立ち、
途中の上海空港で燃料補給のため4時間ほど待たされ、
その日の夜中21時過ぎにネパールの首都
カトマンズに到着。

真っ暗な機窓に柔らかなオレンジ色の光の塊りが
見えてきたと思ったら、それがカトマンズだった。

みんな何となく緊張していたせいか、
着陸が成功したとき乗客が一斉に
歓声をあげて拍手したのには驚いた。

僕も思わず一緒にやってしまったが・・・

後編につづく

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ネパールヒマラヤ遠征登山の記憶〈プロローグ〉

写真はイメージです。

僕は北陸、日本海に面した海辺の街に住んでいる。

元々は隣接する大きな都市部に住んでいたが、
今の僕が生きていくための
魂のよりどころとして取り組んでいる
ウインドサーフィンを始めとする
海を舞台としたスポーツを日々実践するために
10年前にここに移ってきた。

そして10年目の今年も、残すところ後わずかとなった。

高台にあるこの街からは
海を間近に見渡すことができるのだか、
この季節晴れ渡ると、180度視線を転ずれば
白くなり始めた白山や立山を始めとする山々が
遠くまで連なっている様子も眺めることができる。

そしてその山々の連なりを目で追うと、
海と遊んでもらっている現在の僕とは違った
熱いヒリヒリとした感情がこみ上げてくるのだ。

そう、十数年前はあそこが僕の「現場」だったのだ。

当時僕はクライミングというものに
人生の大部分を費やし生きていた。

山を始めたのは19歳の頃だ。

スポーツクライミング
アルパインクライミング
アイスクライミング

手前味噌にはなるが、
社会人としては結構頑張っていた方だと思う。

雪を冠したそれらの山々を眺めていると
今でも或る出来事を思い出す。

ヒマラヤ遠征ーー。

それは僕にとって素晴らしい出来事だった。

あの空気感をありありと思い出すことができる。

そして山々を眺め、ヒマラヤのことを思い出しながら、
こういつも思うのだ。

「またいつかあそこに戻る・・・」

これから綴るのは、そのヒマラヤに遠征したときの記憶だ。

〈つづく〉

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