自分のやりたいことも突き詰められないで大人ズラしてんじゃねえぞ。〈後編〉

オーバーヘッドの波でウインドサーフィンする筆者

前編よりつづく

◎自然と向き合う事こそがエクストリーム

僕は大自然を舞台に自分の力を試す事を
人生を賭けてもよい事と位置づけて
全てに優先して実践しています。

カネも時間もガンガン突っ込んできました。

特にいま力を入れて頑張っているのが
ウインドサーフィンという
エクストリームスポーツです。

以前はロッククライミングを中心として
18歳の時からとことん山に関わってきました。

ウインドサーフィンを始めたのは
38歳のときです。

1つの事を極めるには遅いスタートかもしれませんが
僕はこのエクストリームスポーツを
とことん突き詰めるつもりでいます。

そして、大自然を舞台に自分の力を試す事を
やり続けたその先に、自分らしい本当の幸せが
絶対に待っていると信じています。

◎極限に挑戦するってカッコいいじゃん。

エクストリームとは極限という意味です。

エクストリームなイカレたオヤジとは
極限にイカレたオヤジ、
要は○○バカということです。

あなたも○○バカになってください。

○○バカこそが本当にリスペクトされる
人間たりうるのです。

もしまだ、自分の本当にやりたい事を
見つけられていない向きには、
僕としては、自然を相手にするスポーツを
やってみる事をお勧めします。

自然と向き合うと言う事はイコール
自分と向き合う事です。

自然は自分の鏡なのです。

厳しい自然と対峙し、自分と向き合う事で
本来の自分の姿が見えてくるはずです。

その時こそ本当に自分のやりたい事が
はっきりとするかもしれません。

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自分のやりたいことも突き詰められないで大人ズラしてんじゃねえぞ。〈前編〉

クライミング中の筆者

こんにちは、エクストリームオヤジ研究所代表の中村です。

僕は常々、エクストリームなイカレたオヤジに
なるにはどうすれば良いのか研究を続けています。

「何言ってんの?分けわかんねぇ」
という人はさっさと離脱してくださいね〜。

突然ですが、
日頃から陰陰鬱鬱として小遣いが少ないと嘆き、
こやかましいカミさんや生意気なガキに
いいようにあしらわれ、
俺の人生どこで間違ったと昏い目で空を見る
といったようなクソ生活を脱却し、
「あの人ついにイッちゃったね」という
賞賛の言葉を周囲からいただけるような
キレッキレな人生を歩むために必要な条件とは
どういったものなのでしょうか。

◎いつまでやりたくもないことやってんの?

で、僕なりに研究を重ねた結果、
いくつかの条件があげられると言う事が
判明したのですが、その中でも一番重要な条件が、
「自分のやりたいこと以外はやらない」という
一見単純で、自己中で、反体制的な
アクションであることが判明しました。

「自分のやりたいこと以外はやらない」

簡単ですよね。

やりたくないことをやらなければいいんです。

奥さんに言いつけられたゴミ出しやりたくない。

会社で上司に押し付けられたクレーム処理やりたくない。

町内会で頼まれた育成委員の係やりたくない。

やりたくなけりゃならなきゃいいんです。

でも、自分のやりたい事はとことんやってくださいね。

やりたい事は絶対やり通してください。

周囲からボロクソ言われようとも、
自分が人生を賭けてもよいと思える事を
とことん追求するんです。

自分のやりたい事を追求する過程で、
会社や家庭、周囲の目など
障害となるとようなことがあるようでしたら、
無視するか説得するか切り離すかしてください。

それが出来ないようであれば
エクストリームなイカレたオヤジに
なることは出来ません。

一生グダグダ過ごせばいいんです。

そして、人生を賭けてもよいと思える事を
やり続けたその先にしか、
本当の幸せはないし、自分が幸せになる以外に
周囲の人たちを幸せにする事はできないんですよ。

後編へつづく

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山や海が危険だと声高に言うヤツは、本当は自由が怖いんじゃないの?

世の中の人間は大きく2つに大別されると思う。

1つは自由であることを願う者、
もう1つは自由になることを恐れる者だ。

そして、後者が圧倒的多数であることは間違いない。

いわゆる社会的な生き物である人間の世界には
本当の意味での自由は存在しない。

なぜなら人間の社会は、多くの人間たちがあまり摩擦せずに
出来るだけ穏便に生存して行けるように沢山のルールを設けて、
ほとんどの人間はそのルールに従い生きているからだ。

人間が作ったルールに従って生きている限りは
真の意味での自由を手にすることは不可能だ。

それどころか、全くルールが無くなってしまって、
付き従う基準が無くなってしまったら、
自由どころか恐怖を覚え、何も出来なくなってしまう人間が
ほとんどなのではないだろうか。

人間とはそういったルールに縋り縛られることに
安心を覚えながらも、一方で自由を夢見て憧れる
贅沢極まりない、勝手な生き物なのだ。

もちろん僕もそうだ。

本当に正しいかも分からないような道徳を振りかざし、
真実なのかどうかも怪しいニュースに一喜一憂し、
自分を殺すかもしれない食べ物を売っているコンビニが
歩いて3分の場所に無いことを嘆いている。

ただ、僕は気付いた。

本当の意味での自由を永続的に手に入れることが
出来ないとしても、その片鱗を垣間みることなら
出来るということに・・

僕は18歳のときにはっきりとそれに気付き、
それを実行した。

それが、大自然に分け入るという行為だ。

簡単なことだ。

必要最低限の装備と食料を担いで、ひとり山を歩けばいい。

その瞬間から生きる為の行動全てが自分一人に委ねられる。

夏山シーズンなどは、用を足すのにも
金を払わなければならないといった人間社会のルールが
山にも適用されているのが実情ではあるが、
それでも行動中の1秒1秒の判断は誰もやってはくれない。

大自然の中には人間社会のルール完全無視の
本当に純粋で自由な世界が広がっている。

とは言え宇宙の法則という、逃れようのないルールには
厳然と支配されているのだが、そこからも離脱したいと
考えるのであれば、神仏以上の存在になる必要があるので
お勧めしない。

最初の話に戻るが、自由であることを本当に
願っている人たちは、総じて人間社会から外れて、
大自然に分け入っている。

もし、あなたが人間関係に疲れ果て、
世の中に閉塞感を感じ、生き辛いと思っているのなら、
とにかく何も考えずに、デイパックに
カッパと水と少しの食料を放り込んで、
履き慣れたスニーカーを履いて、
近くの山を歩いてみよう。

へとへとになって家路につく頃には
いくつかの問題はどうでも良くなっているはずだ。

そして、その山の向こうには、
あなたの求める自由が見え隠れしている。

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